第1回学術大会(1993年)

会場 明治大学(駿河台校舎)
期日 1993年6月26日(土)・27日(日)
日程 6月26日(土)
    13:00 設立総会(明治大学大学院南講堂)
    14:30 研究発表(明治大学大学院南講堂)
    18:00 懇親会(明治大学大学院第一会議室)
    6月27日(日)
    10:00  シンポジウム「"ファンダメンタリズム"への視点」

研究発表

1.鈴木健太郎(東京大学)
  「占いにおける災因原理の諸形態」
2.桂島宣弘(日ノ本学園短期大学)
  「金光教の神観念とその変容」
3.大越愛子(近畿大学)
  「差別論的地平から宗教を考える」
4.清水透(独協大学)
  「インディオ村落へのプロテスタントの拡大と都市のインディオ化」

シンポジウム

発題者
 森孝一(同志社大学)
  「アメリカ合衆国のファンダメンタリズム:歴史・現状・展望」
 田中雅一(京都大学)
  「インドのファンダメンタリズム」
 熊田一夫(東京大学)
  「シンガポール華人社会における儒教リバイバルの諸相」
コメンテーター
 大塚一夫(都立大学)
 大村英昭(大阪大学)
司会
 井上順孝(国学院大学)
 杉本良男(南山大学)

  10:00 発題(各20分)
  11:00 コメント(各20分)等
  12:00 休憩(この間にフロアからの質問メモを受け付ける)
  13:00 発題者の応答(各15分)
  13:30 全体討議(質問メモを中心に)
  14:30 休憩
  14:45 全体討議(自由討議)
  16:00 終了

"ファンダメンタリズム"への視点

 ソ連邦の崩壊に典型的に象徴される近年のグローバルな変動の中で、「民族」と共に「宗教」の復興が声高に叫ばれている。その中でも、きわめて注目されている現象の一つが"ファンダメンタリズム"(原理主義、根本主義)である。それは、「近代化すると宗教は衰退する」という楽観的な進歩史観に基づく「世俗化論」に鋭い挑戦をつきつけ、21世紀にかけての世界における「宗教と社会」の関係を考える上で、避けることのできない重要な問いかけを発している。

 元来、ファンダメンタリズムは、今世紀初頭、アメリカ合衆国のプロテスタンティズムにおいて、聖書の根本を固く守ろうとする運動として発生した。それは、聖書解釈の自由を認める近代的リベラリズムや、モデニズムに対立する動きとして生まれたものである。やがて、この語はキリスト教の枠を越え、イスラーム、ユダヤ教、ヒンドゥー教その他の宗教にも適用されていった。その過程で、方法論そして分析上のいくつかの深刻な問題が提起された。

 はたして、ファンダメンタリズムは、ジャーナリズムなどで報じられているように、「過激で戦闘的」な「保守主義者」の運動なのだろうか。土着主義運動、復古主義的思想・運動、教条主義的神学などとは、どの点で異なるのだろうか。それが発生しやすい宗教とそうでない宗教とがあるのだろうか。あらゆる時代、すべての宗教において生じうる現象なのだろうか。それとも、ある特定の社会的・歴史的環境のもとに限られる特異な現象なのだろうか。また、近年のファンダメンタリズムの動きは、2世紀後半における世界の政治・経済変動とどのように関連しているのだろうか。

 さらに、これまでシンクレティズムの用語で特徴づけられることの多かった日本の宗教は、このようなファンダメンタリズムの動向とまったく無関係なのだろうか。最近では、一部の仏教の運動・思想、神道の思想、キリスト教系の新宗教などに、非妥協的性格がうかがえることが指摘されている。これらはファンダメンタリズムと重なりあう部分があるのだろうか。

 このように、ファンダメンタリズムの提出する数々の問題は、きわめて幅広くかつ錯綜している。本シンポジウムでは、研究分野や研究対象宗教を異にする研究者の発表・コメントを得て、今日のわれわれが直面している「宗教と社会」をめぐる根本的な問題の一つを考えていきたい。なお、討論の時間は十分に設けてある。発題者・コメンテーターのみならず、参加者全体が、それぞれの問題意識と絡めて、じっくり議論できる機会としたい。

学会シンポジウム企画書

ファンダメンタリズムへの視点
 ファンダメンタリズムという言葉で、ただちに連想されるのは、イスラム原理主義や、アメリカの聖書根本主義などです。一般には、どちらかと言えばマイナスのイメージが強く、過激な宗教というニュアンスをもつこともあります。その意味で、これを特殊な宗教現象として理解することが多いように思われます。

 しかし、ファンダメンタリズム、及びこれに類似した現象は、宗教と社会の関わりを議論しようとする研究者には、大変興味深いものです。現代世界では、欧米を中心に、幅広く世俗化が進行していると言われるなかに、なぜこのような信仰形態が力を失わないのか。あるいはわれわれが気づいていない側面はないか。そのような問がただちに浮かび上がってきます。

 また、概念的にも本格的な再検討の必要があります。ファンダメンタリズムを、通常用いられているような、ごく特殊な宗教現象にのみ適用可能な概念としてとどめた方がいいか。あるいはもっと普遍的な信仰形態の一つとして想定していった方がいいか。つまり、どの宗教にもファンダメンタリズムの要素が存在しうる、というような視点の方が宗教理解に資するか。そうしたことを検討しなくてはなりません。

 これに関連して、ファンダメンタリズムに近い現象として、どのような信仰形態を想定できるか、という議論も当然出てきます。復古的な運動、教条主義的な色彩の強い神学・思想などは、ただちに考察の対象になると思われます。さらには、ファンダメンタリズムが発生しやすい宗教とそうでない宗教という区別が可能か。あるいは社会・時代の背景はどう関係するか。

 これまで、日本の宗教現象が、ファンダメンタリズムの観点から論じられることは続き 、比較的稀でした。しかし、今回のシンポジウムでは、この点も検討する必要があります。日本の宗教的風土において、ファンダメンタリズムは、育ちにくいと思われます。日本宗教の特徴の一つは、シンクレチズムとされています。シンクレチズムは、ファンダメンタリズムとは対照的な現象と言っていいでしょう。しかし、一部の仏教運動や思想、神道の思想、またキリスト教系の新宗教などには、非妥協的な性格もうかがえます。これは、ファンダメンタリズムとの関係においえ、見逃すことのできない現象です。

 このように、「ファンダメンタリズムへの視点」というテーマは、今日の宗教と社会の関係を考える上で、大変に興味深いものであり、いろいろな議論を刺激していくと思われます。参加者が一日をかけてじっくりと討議することにより、実りあるシンポジウムとしたいと考えております。