第5回学術大会

日時:1997年6月14日(土)、15日(日)
場所:東洋大学白山校舎
大会事務局:東洋大学社会学部西山研究室

研究発表(6月14日)

研究発表A(1407R)

長谷千代子(九州大学文学研究科) 「タイの開発僧に見る近代化と宗教」

 タイの農村部では、70年代ごろから農村開発に携わる僧侶が現れ、「開発僧」として注目されるようになった。彼らの特徴は、上座仏教の僧侶にとってタブーである「開発」に携わりながら、なおかつ僧侶としての名声を得ている点である。
 彼らの活動は旧来の上座仏教に対する認識に改変を迫るものであり、同時にその変容を容認する社会状況の存在をも示唆している。そこに近代化と宗教の相互関係を見ることができるのである。

寺田勇文(上智大学アジア文化研究所) 「日本占領下フィリピン(1942-45)のプロテスタント教会−−日本の宗教宣撫工作との関連で」

 比島派遣軍(第14軍)はフィリピンのキリスト教会に対する宣撫工作を担う宗教班を編成し、開戦と同時にフィリピン戦線に派遣した。日本軍はカトリック教会に対してはローマ教皇庁の国際的影響力を配慮し「柔軟」に対処した。しかし、敵国である米国の宣教団体、宣教師と密接な関係にあったフィリピンのプロテスタント諸教会に対しては厳しい姿勢で臨み、日本国内の宗教団体法と日本基督教団結成をモデルにフィリピン側を「指導」し、1942年に「フィリピン福音主義教会連盟」を創立させた。この連盟は翌43年には「フィリピン福音主義教会」となったが、45年春に米軍がマニラを再占領すると、連盟議長であったエンリケ・C・ソブレペニャ牧師が対日協力者として裁かれた。この発表では、報告者が発掘した一次史料と日本、フィリピン、米国における関係者のヒアリングにもとづき、日本占領下フィリピンにおけるプロテスタント教会の動向を、日本の対比宗教政策との関連で検証したい。

小原克博(同志社大学神学部専任講師) 「神のジェンダーに関する一考察――フェミニズム神学との対論を通じて」

 近年、欧米では神の呼称をめぐる議論が活発になされている。聖書翻訳の際にも、神を男性として特定することを避けたり、あるいは、「父なる神」ではなく「父母なる神」と表記するといった配慮がなされている。これらは、フェミニズム神学への関心の高まりに呼応している。
 本発表では、フェミニズム神学が強く批判している家父長制的神理解や唯一神論の位置づけを解釈学(特にメタファー論)の視点から考察する。同時に、神のジェンダーに関して、フェミニズム神学が提起している新しいモデルについても検討を加えたい。
 さらに、欧米でなされてきた議論が、そのままの形では必ずしも日本の文化に受容されないことを、日本的家父長制の問題(例えば、天皇制の問題)と関連付けて示唆するつもりである。

中牧弘允( 国立民族学博物館) 「エンデミック宗教のエピデミック化:アマゾンの幻覚宗教を中心に」

 今回の報告では、エンデミックとエピデミックという疫学の概念を宗教現象の説明原理として検討してみたい。宗教と病気がアナロジカルな共通性をもつことは、「流行り神」とか「熱病にうかされたように宗教に凝る」という表現などにみられるが、梅棹忠夫氏は学術的な概念としての免疫をアナロジカルに応用し、エピデミックな宗教にいったんさらされた社会は免疫性を獲得し、同種あるいは類似のものに対しては再度かかることはないと指摘している。最近では、免疫学の多田富雄氏が免疫系のスーパーシステム・モデルを提示し、言語・都市・音楽・民族・文明などの対象に切り込んでいる。われわれの関心をひくのは、免疫研究が臓器のはたらきに基礎をおいているかぎり、十分に発展しえないという点である。これを宗教研究にたとえれば、教団や宗派の研究は臓器研究にあたり、新宗教運動や流行神の研究は免疫学の位置を占めているといえよう。具体的な事例としてアマゾンの幻覚宗教の伝播や日系新宗教の非日系人への浸透をとりあげながら、疫学的説明の有効性について議論の発展をはかりたい。

研究発表B(1408R)

小島伸之(東洋大学大学院) 「近代日本における法と宗教をめぐる一考察―明治三二年宗教法案を事例として―」

 本発表は、近代日本における宗教に関する基本的体系的成文法として、はじめて議会に提出された明治三二年宗教法案の構造を、帝国議会における審議過程の分析に基づき、法案の宗教「保護」的側面――信教自由の制度的保障――を明らかにするものである。特に、先行研究では国家による宗教統制の規定と捉えられてきた、(1)「教会」「寺」の規定や、(2)「教派」「宗派」の規定が、それぞれ、(1)宗教団体への法人格の付与、(2)宗教団体自治の法的担保について、宗教「保護」とそれに伴う「監督」を複合的に定めた「制度化」規定であることを指摘したいと考えている。そして、これらの規定に対する各宗教勢力の応答、特に仏教勢力による「宗教法案反対運動」が何に起因するのかについても、明らかにしたい。また、法案修正の過程において、仏教側の主張を取り込んだ松岡康毅による修正が、意図せざる結果として法案の本質を変えたことについても紹介する。

石井 研士(国学院大学) 社会変動と宗教・再考

 戦後に行われた宗教と社会との関わりに関する研究を見てくると、それぞれの研究の時期によって、近代化、社会変動、世俗化、宗教の復興など、用いられる分析用語が異なり、関心が移動していくことがわかる。しかしながら、そうした関心の移動にも関わらず、現代社会を代表する宗教現象として積極的に調査研究されてきたのは、新宗教であった。他方伝統宗教は、明確な調査がほとんどなされないまま、社会の周辺化し、衰退するものと見なされる傾向が強かった。
 本発表では、伝統宗教に関する戦後の研究を総括しながら、伝統宗教の変容の視点から、戦後の社会変動と宗教を再考してみたいと思う。伝統宗教の衰退は、確認された事実であるのか、理論的にどのような位置づけを与えるべきなのかを考察の中心としたい。

三土修平(愛媛大学) 「学生の社会意識の因子分析」

 大学生を対象に、現代日本でよく論じられる政治的・社会的・倫理的テーマについて50種類の意見を示し、賛成度を4段階の選択肢方式で回答させた。有効回答数は286。因子分析によって回答の背後にある意識の軸を析出したところ、8種類析出され、ウエイトの順に「現実主義」「理想主義」「人権」「生活者」「集団主義」「挑戦」「事なかれ」「律法主義」と解釈された。例えば、「戦没者の霊に敬意を表する事業は公的にやるべきだ」との意見は、集団主義意識によって最も強く支持されるが、生活者意識、理想主義意識からも支持されている。生活者意識は生活を守る主婦団体の社会運動の意識に近く、理想主義意識は「自分に優しく地球に優しい生き方」の意識である。これらは従来どちらかといえばいわゆる革新の支持基盤と考えれてきた意識である。こうしたことからも、現代の社会意識を政治的左右などに単純には色分けできないことがわかる。

熊田一雄(愛知学院大学文学部) 「現代救済宗教と共依存の病理─ポストオウムの宗教研究のために─」

 この発表の目的は、ポストオウムの宗教界のために、精神医学が提起した「共依存の病理」概念の射程距離を測定することにある。内容的には、「宗教と社会」誌3号所収の拙論の理論的一般化である。アルコール依存症対策に始まりフェミニズムと連動した共依存概念(「愛情という名の支配」関係の病理)は、宗教界にとっても爆弾となりうるものである。大村英昭氏の「鎮めのエートス論」は、団塊ACエリートの自己救済論ではないか。島薗進氏の「大衆自立思想論」は、自立の実質的内容に対してナイーブなのではないか。宮沢賢治の童話「よだかの星」こそ自己犠牲を装った「ファシストの詩」ではないか。麻原彰晃は、多くの人々の「人の為と書いて偽りと読む」心ぐせを気付かせるために現れた菩薩だったのではないか。全共闘(男性)エリートとともにそれ自体内閉化傾向にある宗教研究・宗教社会学を、もういちど若い世代の生活世界に向けて開いていきたい。

ワークショップ(6月15日)

ワークショップ(1)(1407R)「精神世界」の構図ーー現代社会と現代人の意識を理解する手がかりとして

 本ワークショップの目的は、「精神世界」という名称でこれまで包括されてきた、現代的な宗教現象に対して学問的なアプローチを試みることである。「精神世界」という語は1980年代以降、「宗教」の類義語として一般に用いられてきた。大型書店では「精神世界」のコーナーが定着し、信仰の有無に関係なく広く読まれた本も多い。
 しかし、研究対象としては、「精神世界」は明確な定義が与えられないままに、漠然と一つの流行現象を見るようにしか把握されてこなかったように思われる。真摯な信仰心を欠いた私的宗教、怪しげなオカルト趣味、オタク集団のサブカルチャーといった評価がなされ、好事家的な関心の対象とみなされてしまってきた。報告者たちは、「精神世界」がそのようなものにつきるのではなく、現代社会と現代人の意識を理解する重要な手がかりともなりうると考えており、それぞれの関心領域からの提言を行なおうと考えている。
 本ワークショップでは、「精神世界」研究の分析を通して、先進資本主義諸国における宗教文化の現代的な特質を解明する手がかりとしたい。それゆえ「精神世界」全体にたいする網羅的な知識の提示や獲得はワークショップの目的ではない。だが「精神世界」を考える上で無視できない思想的な経緯もあろうし、特筆すべき現象もあろう。各報告者は、「精神世界」概念を学術的に検討する上においてネックになると思われる視点を提示・強調し、今後の議論へとつなげていきたいと考えている。「どのようにして精神世界を研究するか」という問題意識を共有する方々の討議参加を大いに歓迎する。

 現段階で考えているワークショップの形式は以下の通りである。
 午前の部  「精神世界」のありさまをとらえる
10:00 主旨説明
10:15〜10:40 報告1「メディアに『媒介』される『精神世界』」
(報告予定者 産経新聞社 加納洋人 赤堀正卓)
10:40〜11:00 質疑応答
11:05〜11:30 報告2「オカルティズム運動と「ニューエイジ」
     −−一種の思想史として」
   (報告予定者 舞鶴高専 吉永進一)
11:30〜11:50 質疑応答

午後の部  「精神世界」概念について考える
13:30 主旨説明
13:45〜14:10 報告3「ニューエイジと精神世界
   ――概念的整理を中心として」
   (報告予定者 ペンシルバニア大学 伊藤雅之)
14:10〜14:30 質疑応答
14:30〜14:55 報告4「精神世界を支持する<ゆるやかな共同性>
   ――小集団運動における霊性についての考察」
   (報告予定者 上越教育大学 葛西賢太)
14:55〜15:15 ショート・コメント(複数名)
15:15〜16:30 全体討議「『精神世界』を論じる上での諸問題」
 日本でのまとめ役は、上越教育大学助手(宗教学)葛西賢太が担当している。

ワークショップ(2)(1408R) 宗教とジェンダー

1.問題提起

 宗教における性の問題は、1970年代以降の女性解放運動と連動して、主にその女性に対する差別性を指摘し批判する立場からの研究が進んできた。それらの指摘は従来の宗教の社会的機能や役割についての見解を再考させる契機になった。私たちも各自の宗教研究において女性の宗教経験や活動史に焦点をあてる作業に努めてきたが、調査上の問題をはじめとする新たな方法論の構築の必要性を痛感するようになった。
 そこで今回、ワークショップにおいて、「ジェンダー」という視点からの宗教研究を試み、多くの参加者との討議を通じてその課題や可能性を討議したい。ここで私たちは「ジェンダー」を「社会的・文化的に規定された可変性を持つ性役割」という意味のみならず、「あらゆる社会関係の場に存在し、人間が世界を認識し、構築する際の基本的概念の一つ」とひとまず定義したい。宗教の言説や経験においてジェンダーがどのように機能するか、を考察することは、宗教分析にとって重要な問題であると確信する。しかしそれは多元的かつ多層的な考察を要請する。5人の発表ではジェンダーを中心の分析視点としつつも、宗教におけるジェンダーの諸相を多面的に討議する。
 栗原発表では、「女人禁制」という最も重要なジェンダー問題を取り上げて、宗教が思想的にも実践的にもジェンダー・バイアスを強める機能を持つことを指摘する。
 川橋発表では、ジェンダー研究における他者理解をテーマとし、フェミニストエスノグラフィーの困難とそれを超克する新しい関係性について仏教界の女性たちの活動を例にして考察する。
 黒木発表では、いくつかのマイノリィティの位置を占める日系アメリカ女性を例に複合的マイノリィティの分析枠組をめぐる問題を検討する。そして彼女らの肯定的自己像を理解するにあたりスピリチュアリティという視点の可能性を探る。
 石渡発表では、ネットワークという分析概念を用いて、女性信者が形成しているネットワークから女性信者が信念体系を受容する際の方法論を考察する。
 薄井発表では、女性の役割や意識を規定するものとして「生命」観に着目し、それをめぐる宗教的言説の傾向や特徴の整理を試みる。
 以上の発表はジェンダーという視点から宗教研究の可能性を提示したいというものである。今回、多くの参加者との討議を通じて、論点の整理に努めたいと考えている。

2.構成
 【発表者と発表題目】
  10:00ー12:00
栗原淑江「女人禁制をめぐって」
川橋範子「フェミニストエスノグラフィーの限界と可能性
        ー仏教界の女性運動を中心として」
黒木雅子「複合的マイノリィティの自己像:
              エスニシィティ・性・スピリチュアリィティの視点から」
石渡佳美「女性信者における信念体系の受容と社会的ネットワーク」
  12:00ー13:30 昼食時間
  13:30ー14:00
薄井篤子「宗教における生命主義と母性」
  14:00ー16:00
質疑応答と自由討論 (司会 井上順孝氏)

ワークショップ(3)(1504R) 東アジア世界における民俗宗教の持続と変容

[問題提起]

 昨年度のワークショップにおいて「東アジアにおける宗教の変動」が取り上げられ、活発な議論が展開され、その成果は刊行された。そこでの対象は東アジアにおける華人社会に焦点を絞って、異文化社会においその社会に適応しながらも、独自の宗教的世界を打ち立てていることが明らかにされた。さらに、中国社会における人間関係の特質、シャーマンの組織化の問題などが論点として浮かび上がった。今回は地域的には先祖祭祀、霊魂観、シャーマニズムなどの側面において比較的共通性の強い東シナ海、黄海を取り囲んでいる中国社会、朝鮮・韓国社会、日本社会に焦点を当ててみたい。それらの社会は2、30年の間に産業化、都市への人口の集中といった急激な社会変動に遭遇した。こうした社会において前回のワークショップにおいても明らかにされたように、都市部においても民俗宗教が根強く維持されている。それをいかに説明することが可能かについて議論していきたい。そのことによって東アジアを視点にすえた宗教変動論への枠組みの模索を試みる。この議論のために付け加えるとすれば、民俗宗教を教団宗教と対置して捉えるのではなく、人々の生活現場でうごめいている宗教的世界の成層として把握し、それを支えている生命観、人間観なども射程にいれる必要があるであろう。

議論を展開するためのキーワードとして以下の枠組みが想定されるであろう。
 キーワード−−−◯民俗宗教(先祖祭祀、シャーマニズムが基底を構成し、シンクレティズムとしての宗教的世界を作り上げている)
         ◯産業化・都市化・社会変動と都市への過集中化現象
         ◯個人主義的仮説、私秘化仮説、世俗化仮説
 発題者及びテーマ(発表時間20分)
  1. 孝本 貢 「問題提起」
  2. 佐藤憲昭 「都市シャーマニズムの特徴−民俗宗教の持続と変容に関連づけて−」
  3. 星野智子 「辯天宗の水子供養について−民俗宗教のひとつの動き−」
  4. 滝沢健次 「在日コリアンの巫俗信仰−その社会的ネットワークから見た持続と変容」
  5. 岡田浩樹 「現代韓国社会における死者」
  6. 滋賀市子 「戦後香港における民俗宗教の持続と変容−「道壇」の展開過程を通して−」

 スケジュール
  司会者−−池上良正・田島篤忠
   午前10時−12時   個別発表
   午後1時30分−4時  司会者による論点整理と総合討論